さすらいの三療師、おっちです。
はり・きゅう・マッサージで“三療”業界用語?です。
治療のことよりは、趣味の方が先行してますが、
体の事、心の事、国の事などなど思いのままに書き連ねてます。
もし、気分を害したら、ごめんなさい。
もし、気に入ったら暫くお付き合いをお願いします。
企て
年が明けてから
休みと言っても時間がない日が続いてます。

色々な手続きとかなんだかんだ・・・。

運動不足が爆発しそうです。

そこで考えました。
できるだけ空いた時間を
稽古に費やしたろ。

内容は・・・
精武十二路弾腿!
なつかしい!

これをシコタマやって
時間ができた時に套路をじっくりゆっくり消化していく
そんな感じで企てました。
ええ企てましたとも!!

三男(1歳)が寝てる間限定ですから
タイミングは本当に限られてますが・・・。

この頃は私の南拳のまねで、指さしを覚えました(笑)
後時々“はーっ”ってやります。
Posted by : おっち | 武術教室 | 19:50 | comments(0) | trackbacks(0)| |
強さ
何をもって“強さ”と呼ぶかは人それぞれです。
ひたすら真っ直ぐ突っ込んでいくのを、そう呼ぶ人は
多いと思います。
勝ち続ける事をそう呼ぶ人も、多いでしょう。

でも、私が今思う強さは
ひたすら生き延びること。
腰ぬけと言われても、
戦いを避け続けること。
そういう強さです。

本当にやりたいこと、守りたいことがあるから
こういう結論に至りました。

賛同はいりません、私だけの結論ですから。
人によってはこれを弱さと位置付ける人もいます。

それも、否定しません。

でも、強い必要ってなんでしょうね?(笑)

捨て身で勝っても次があるかどうかは
分からんのです。
Posted by : おっち | こころの旅人 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0)| |
なりたい自分
なりたい自分になれてないと
気付くことは
なりたい自分になる第一歩だ。
Posted by : おっち | こころの旅人 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0)| |
緊急の拡散のお願い。
友人経由で回ってきた情報です。
よろしく。
誰か、北海道のひと。よろしく。
Posted by : おっち | お知らせ | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0)| |
改めて、極真について考えた
こんなに極真について考えるんだったら
極真に入ればいいのに(笑)
へそ曲がりですから。

極真空手は
大山総裁が一代で築き上げた空手です。
そして、墓に下に持ってった!

恐らく、総裁は自身が修行したモノを
伝えるには伝えたんでしょうが、
流派という概念が彼には無かったのでしょう

実戦至上主義なら、
習ったものは使えてナンボだし、
つかったものがまた、出来るかどうかは保証がないので、
流派というのが机上の空論なのかもしれません。

ですから、流派ではなく会館という枠で道場を開いたんじゃないのか?
ニッポンに新しく会館というシステムを作った人でもありました。

ですから、継承者は本当はいません。
いや、彼を直接間接見聞きした全員が後継者と言えば広いでしょうが、
しぼって、彼に教えを受けた全員が継承者なんですよ。
今の館長は仕事であって、上に乗っかる神輿じゃない。
要は極真というシステムの管理者なんですよ。

ですから、極真は分裂しちゃあいけません。

そんな意味もなかったんです。

はぁ惜しい!つくづく惜しい!
Posted by : おっち | おっちの日誌 | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0)| |
表面張力
最近、表面張力のことばっかり考えてます。

100%が限界でそれ以上は無い
60%はかなりイイ

何においても。それでいい。
欲張ってもしかたない。

そんな気がしてきた今日この頃です。
Posted by : おっち | おっちの日誌 | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0)| |
存在
今年の武術の目標、
“表面張力”を“站”として
みにつける。

つまり、存在する。

自分にしか分からんか・・・
Posted by : おっち | 武術教室 | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0)| |
いじめ
いじめについて考える機会がこのごろ多かった。
息子がいじめた疑惑を掛けられて・・・
職場でもパワハラ疑惑があったりと
どちらも疑惑で終わったわけですけれども。

あえて言えば、
この社会に力関係が無くならない限り
いじめは無くならない。

AさんがBさんをいじめたとします
Aさんにはいじめたつもりはないでしょう。
Bさんは被害者意識が凄くある場合とない場合もあります。
BさんにはAさんに言い返す力や立場がないわけです。
そうして、Aさんの絶対的な勝ちによって
Aさんの意図することなくいじめの構造が完成されます。

それを見た人がAさんがいじめをしたと責めます。
Aさんは、いじめたつもりは全くなくても
その行ったところは事実ですから
こんどは、立場が弱くなるわけですねぇ。
完全なるAさんの負け。
じゃあ、Aさんはこの時点でいじめられてませんか?
責められ方にもよるでしょうけど、
行きすぎない責め方ってのはない。

だから、
“いじめをなくそう!”って言うのは聞こえはいいけど
幻想でしかない。
見方を変えれば、誰がいじめているか分からないことになる。

けっきょく、
それはどこまでがオッケーでどこからがアウトなのか
線引きや加減の問題になるでしょう。

当事者としては
どこら辺までが“良い加減”なのかを
うまく読みとらないといけませんが・・・


そんなことができれば、問題は起こらんのです。
Posted by : おっち | おっちの日誌 | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0)| |
へそまがりなクリスマス
クリスマスが終わって思うことは、
なぜ、個人の誕生日を祝うのか?
キリストは偶像崇拝と個人崇拝を嫌ったはず。
ただ、神にのみ祈りを捧げよ言ったと思うよ。

だから、いくら救世主でも
他人の誕生日を世界が祝うっつーのはどうなのかねぇ。

わたしなら、神ではなく
自分に祈れと言いますけど。

他人はあくまでも他人。
神だって同じです。
自分にちょうどいいのは
自分自身です。

派手さは無いですが
夢も希望も等身大で詰まってます。

そういう、自分をゆっくりと見つめるのが
ニッポンの年越しなんじゃないですか。
そばでもすすりながら。
Posted by : おっち | こころの旅人 | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0)| |
【JUGEM杯 写真で一言!】
【JUGEM杯 写真で一言!】

【JUGEM杯 写真で一言!】

【JUGEM杯 写真で一言!】
このへんだったはずなのになぁー

へそくり・・・
Posted by : おっち | - | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0)| |
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